壊すことで、未来は始まる。

解体2025/04/03 2025/04/07

「壊す」という言葉には、少しネガティブな印象があるかもしれない。
けれど実際には、それは「始まり」や「準備」の合図でもある。
今日、街の一角で見かけた解体現場が、そんなことを考えさせてくれた。

朝、通勤途中にふと目に入ったのは、コンクリートの建物が重機によって壊されている光景だった。
黄色いショベルカーが、無骨な爪で壁を引き裂き、内部の鉄骨や配管がむき出しになっていく。
あの建物、確か昔は小さな工場だったはずだ。もう何年も稼働していない様子だったけれど、取り壊される姿を目の当たりにすると、少しだけ寂しさを覚える。

だがその一方で、建物が消えることで空が広くなり、光が地面に届いていた。
今まで陰になっていた場所に、新しい空気が流れ込み、風景の中に「変化」が確かにあった。

解体という作業は、ただ物を壊す行為ではない。
そこには計画があり、安全があり、未来がある。
壊す順番も、壊し方もすべてが緻密に設計されていて、それを目の前で見ていると、むしろ“創る”ことと同じくらいの価値があるように思えてくる。

人の心の中にも、きっと同じようなことがある。
古くなった価値観や、もう必要のなくなった思い出。
ずっと持ち続けることが美徳とされがちだけれど、ときには自分の中の「解体作業」が必要なこともある。

壊して、片付けて、スペースを作る。
その余白に、新しいものが入ってくる。

建物の跡地には、数ヶ月後には新しい住宅が建つそうだ。
子どもたちの笑い声が響き、花が植えられ、また違った「景色」が生まれるだろう。
そう考えると、この崩れゆく風景も、どこか希望を帯びて見えてきた。

壊すことで、未来は始まる。
そう信じて、今日もまた新しい何かを迎える準備をしようと思った。