窓の向こうに、今日の私がいた。

解体2025/04/03 2025/04/07

忙しない毎日の中で、ふと立ち止まる瞬間がある。
それは大抵、疲れがピークに達したときだったり、思いがけず予定がキャンセルになった日だったりする。私にとっては、ある金曜日の夕方がそうだった。

仕事が早く終わって、久しぶりに何の予定もない帰宅。部屋の明かりはつけず、ただカーテンを開けて窓の前に立った。目の前には、夕陽に照らされたビル群と、ぼんやりと色づく空。そしてその向こうに、まだ少し熱を持った今日という日が、静かに過ぎていこうとしていた。

手にしたマグカップから立ちのぼる湯気。
その温かさを感じながら、思考も少しずつほどけていく。何もしていないのに、なんだか満たされた気分。誰かと話すわけでもない、スマホを開くでもない、ただ“自分とだけ”過ごす時間。

こんな風に、静かに自分と向き合う時間は、なぜだか特別に感じる。
「今日の私はどうだった?」
そう問いかけるように窓の外を眺めながら、答えを急がずに、ぼんやりと気持ちの整理をする。反省するでもなく、自分を責めるでもなく、ただ今日という一日を労うように。

社会の中で、誰かの期待に応えることに疲れてしまう日もある。
けれど、こうしてひとりの空間で、“ただ在る”だけでいい時間があると、少しずつ自分に戻っていける気がする。

窓の向こうに広がる風景は変わらなくても、それを見ている自分の気持ちは確実に少し変わっている。
たった数十分のこの時間が、明日の自分をほんの少しやさしくしてくれる。そんな気がした。

「また明日も、きっと大丈夫。」
小さな自信を胸に、私はそっとマグカップを置いた。部屋にはまだ、あたたかな光が残っていた。