何もない朝が、いちばん豊かだった。

解体2025/04/03 2025/04/07

「特別なことなんて、何もない朝がいちばん好きかもしれない」
そう気づいたのは、少しだけ早起きしてみたときだった。

夜型の私は、長らく朝が苦手だった。目覚ましを3回止めて、ようやく起き上がる毎日。顔を洗って、適当に着替えて、バタバタと家を出る。それが当たり前だった。

でもある日、ふと目が覚めた午前6時。二度寝しようとしたけれど、なぜかその日は体が軽かった。窓の外から聞こえてくる鳥の声が新鮮に感じて、ためしにそのまま布団を抜け出した。

お湯を沸かして、久しぶりにドリップでコーヒーを淹れる。湯気が立ちのぼるマグカップを両手で包み込みながら、ぼんやりと窓の外を眺めた。
何もしていないのに、心がじわっと温まっていく。

朝の空気は澄んでいて、窓の隙間から入る風がやさしい。まだ誰も動き出していないような静けさが、逆に安心感をくれる。スマホもテレビもつけず、ただその場にいる時間。そんな“何もしない時間”が、どれだけ大切だったのかを改めて知った。

部屋の隅に置いた観葉植物も、いつもより生き生きして見える。お気に入りの本が並ぶ棚の前で立ち止まり、「この本、読み返そうかな」なんて思う余裕もできた。急がない朝。急がなくていい朝。

それ以来、毎日とはいかないけれど、週に何回かは“朝の静かな時間”を過ごすようにしている。早起きしなきゃと気負わずに、「起きられたらラッキー」くらいの気持ちで。そうすると、不思議と自然に目が覚める日も増えてきた。

朝活って、何かを成し遂げる時間じゃなくて、何も詰め込まない時間でいいのかもしれない。
スケジュール帳を埋めることに必死だった自分にとって、空白こそが豊かさだと気づかされた。

忙しい毎日の中で、ふと足を止めて深呼吸するだけで、自分がどこにいるのか、何を大切にしたいのか、少しだけ見えてくる。

そんな「何もない朝」が、今の私にとっては、いちばん贅沢な時間になっている。